さくらのしたのしものいけあわれ
2013年4月1日(月)
今月21日、大枝大原野の風景を下敷きにして「にそと」がついに開通する。
下の池あたりののどかな風景の変わりように絶句する。

上の池の堤の桜は満開。下に並んであった下の池に目を移すと・・・

池の水がハート型に残っているのは、
皮肉というほかない。
みなさん、ぜひ見に来てください。
ありし日の記憶を忘れずに。
(井上記)
今月21日、大枝大原野の風景を下敷きにして「にそと」がついに開通する。
下の池あたりののどかな風景の変わりように絶句する。

上の池の堤の桜は満開。下に並んであった下の池に目を移すと・・・


皮肉というほかない。
みなさん、ぜひ見に来てください。
ありし日の記憶を忘れずに。
(井上記)
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by oeap
| 2013-04-01 19:19
| 大枝風景ノート
報告|シャルロット・ペリアンの娘さん、大原野来訪 2012.6.9
2012年6月9日(土)、20世紀最大の女性デザイナーのひとり、シャルロット・ペリアンの娘さんのペルネット・ペリアン(Pernette Perriand-Balsac)さんが、大原野の野田地区を訪問されました。
1940年9月、商工省の招きで輸出用工芸指導顧問として来日したペリアンは、河井寛次郎の先導で、柳宗理らとともに野田地区を訪れた。
そのことを綿密な調査によってつきとめたペリアン研究者の畑由紀子さんが、京都に滞在中のペルネットさんを案内して来られたのです。
美しい景観の残る野田地区はまぬかれましたが、奥の西山のふもとでは、にそとの建設工事によって、美しい古民家や竹林が次々となぎ倒されています。
それをじっと眺めて写真を撮るペルネットさん。
ふりかえっていわく、
「残念ですね。悲しい」
お昼時、大五さんはお葬式で留守だったのですが、ご家族の許しを得て勝手にいつもの工場に入らせてもらい、ほこりまみれの椅子を拭いて並べ、食卓を急ごしらえしました。
まさか昨年12月25日の情景が、ペリアンさんご本人とともに再現されるとは、奇跡のようです。
今日は残念ながら、齋藤兼次さんは結婚式とかで会えませんでした。
1時半ごろ、大五さんが戻ってこられ、夢のご対面。
ペルネットさんは、専門家らしく、木や竹を切る時期や乾燥の仕方について質問。
また工房内にダイナミックに集められた大五さんご自慢の材木におおいに関心をもたれていました。
OAPの『にしやまアートブック』や『アクアカフェ記録集』もお見せすることができました。
それにしても、70年のときをへだてて、ペリアン母娘の大原野野田との出会いを実現された畑由紀子さんの粘り強い研究姿勢に頭がさがります。
ペルネットさんは1944年、戦争で日本を脱出したペリアンが滞在中のハノイで生まれたそうです。現在、パリでArchive Chaelotte Perriandを主宰し、シャルロット・ペリアンの資料整理や展覧会企画の仕事をされておられます。
大原野訪問のあと、芸大の「つちのいえ」を柵の外からちらと見て、JR長岡京へ。
再会を期して、そのまま東京に向かわれました。
(井上記)

そのことを綿密な調査によってつきとめたペリアン研究者の畑由紀子さんが、京都に滞在中のペルネットさんを案内して来られたのです。

それをじっと眺めて写真を撮るペルネットさん。
ふりかえっていわく、
「残念ですね。悲しい」

まさか昨年12月25日の情景が、ペリアンさんご本人とともに再現されるとは、奇跡のようです。
今日は残念ながら、齋藤兼次さんは結婚式とかで会えませんでした。

ペルネットさんは、専門家らしく、木や竹を切る時期や乾燥の仕方について質問。
また工房内にダイナミックに集められた大五さんご自慢の材木におおいに関心をもたれていました。
OAPの『にしやまアートブック』や『アクアカフェ記録集』もお見せすることができました。
それにしても、70年のときをへだてて、ペリアン母娘の大原野野田との出会いを実現された畑由紀子さんの粘り強い研究姿勢に頭がさがります。
ペルネットさんは1944年、戦争で日本を脱出したペリアンが滞在中のハノイで生まれたそうです。現在、パリでArchive Chaelotte Perriandを主宰し、シャルロット・ペリアンの資料整理や展覧会企画の仕事をされておられます。
大原野訪問のあと、芸大の「つちのいえ」を柵の外からちらと見て、JR長岡京へ。
再会を期して、そのまま東京に向かわれました。
(井上記)
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by oeap
| 2012-06-10 12:00
| 大枝風景ノート
大原野のお火たき_2011年12月10日


東に向かっての傾斜地なので、田んぼから京都市街が一望できるすごい立地。
午後6時すぎ、
人々が集まり始めます。

火が放たれます。



来た人にふるまわれます。

冷える夜空に煌々と輝く月食前の満月、それをお火たきのやぐら越しに仰ぐぜいたくな時間。
(井上記)
▲
by oeap
| 2011-12-11 10:54
| 大枝風景ノート
大枝風景ノート|2010年10月

個々人はいろいろやっているのですが。
反省を込めて、10月7、8日、ひさしぶりに大枝を歩いてのレポートです。
ものすごい勢いで、沓掛インターチェンジの工事が進んでいます。
9号線からのぼってくるもうひとつの道が建設中。左手が旧大山崎街道(見えません)。

現代では、唐突に空中から道がつくられるのです。

こっそり(じつはどうどうと)、フェンスの向こうに入ってみました。
将来、インターチェンジになる現場です。
2008年に「みどりの停留所」展で、展示場所になったのがうそのよう。

宙づりの風景に、なぜかときめいてしまうのは、美術などにたずさわっている者の性? 職業病?

一時期、通行禁止になっていましたが、農家の人の要求で解除され、現在、通れます。
まもなくなくなる自然歩道と、やがてくる高速道路が交差する、なんていう、信じられない風景の中を歩けます。こんな風景のめくるめく流動化現象を味わいながら歩けるのは今しかない。はっきりいって瀬戸内芸術祭なんか目じゃない(まだ見てないけど)。
倒壊自然歩道。おすすめです。

とつぜん道路があらわれ、とつぜん消えます。
バルビゾンの風景画家たちは、描いた風景モチーフがあっというまに変わるさまを見たら、なんていうでしょうか。今日、風景画を描く意味は大きく変わっているのかもしれません。



風景の変化なんて知ったこっちゃない。早くまちなかに戻りたい・・・と先生方。
メンバーのみなさん、風景の変化の観察と記録にご協力いただけたら幸いです。
(関心ないですか?)
(井上記)
▲
by oeap
| 2010-10-08 18:56
| 大枝風景ノート
大枝風景ノート|2010年4〜5月



決して読めないその文章は、
「未来に夢中です。」

大藪家の土塀はまだ残っている。
信じられない光景に絶句する。

毎年1月4日の山開きのときに、その年の山仕事の安全を祈る神様の木。
やはり移転対象となっている千丈墓地から、東海自然歩道を南へ歩いてすぐのところにある。
あるとき、地元の人が、柿畑の影になるので切ろうとしたとき、その人は急に重い病気になってしまった。「山の神のたたりにちがいない、あの木は切ったらあかん」と、今も木のお世話をしている地元のおばあさんは言う。「土地は売られたしもたけど、私らはぜったいあの木をよう切らん。道路工事の人が切ったら、きっと工事の人や、道路を通る人に悪いことが起きる。」
注連縄は今年1月に地元の人がまいた。周囲の工事が進むなか、道路予定地のどまんなかにただ一本立ちすくんでいる。地元の人々の気持ちを代弁するかのように。

工事の人たちに何も起きないことを祈る。
(井上記)
▲
by oeap
| 2010-05-18 23:58
| 大枝風景ノート
大枝風景ノート|2010年3月30日

すでに大半の土地買収が住んでいるので、地元の人々はあきらめてしまっているのかと思っていたが、高速道路より西の山手に住む人々は、生活道路が分断されることに我慢ならない様子。
やはり、山際ではなく、人が住んでいる土地のど真ん中に高速道路を通す計画は、無謀というしかない。
図面を引いた人間には、辺境の高齢化が進む土地は、人が住み、歴史もある場所だと認識されないのか。

すでに橋脚が立ち上がっている。
助成金申請書づくりで疲れた頭でぼんやり見上げる。

芸大では誰も真横で起こっている風景の変化に対して、リアクションを起こさない。
それどこか、町の中心部に戻りたいと先生方はのたまう。
世間的に成功した芸術教育者たちにとっても、大枝は無視すべき辺境の地らしい。

空中墓地。

巨大テクノロジーのもとでは、deleteは一瞬だ。風景の記憶もたちまち抹消される。
空になった北向き地蔵の祠が、虚無を見上げている。
大藪さんのお屋敷も、5月の連休明けには取り壊されるという。
解体費用は立退く人間が支払わないといけないらしく、迷惑がかからないよう、峠の茶屋も4月半ばには解体撤去しないといけない。
(井上記)
▲
by oeap
| 2010-03-31 03:10
| 大枝風景ノート
大枝風景ノート|2010年2月

今年になって、いや、民主党政権に替わった昨秋以来というべきか、大枝の高速道路工事のピッチがあがった。
芸大グラウンドの西側には、にそとと9号線のインターチェンジがつくられるのだが、墓のある西側の、丘と谷がひだをなす自然地形は大きく様変わりしている。

それは完全に姿を消している。

かつてあった風景と、いまだ来らぬ風景の間に、刻々と変貌をとげる無名の光景がひろがっている。
いや、これは、「風景」と呼べるものではないのかもしれない。

たくさんのキャラクター人形が、二重柵のあいだにはさまれて、ずらりと並んでいる。

だれがやったのだろう。
芸大生か。近所の子供たちか。
たまたま九社神社にスケッチにやってきた芸大生とでくわしたので、聞いてみたら、彼女もびっくりして、知らないという。

それにしても、いつもは正面ばかり見ている人形の背中しか見れない、という体験は新鮮だった。
棄却される風景(棄景)を背にして、いろいろ示唆的でもある。
人形たちといっしょに、しばし西山への落日をみつめた。
(井上記)
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by oeap
| 2010-02-25 00:29
| 大枝風景ノート
2009/4/29(水・祝)【おおえトコトコ散歩】

【終了しました】 → 活動報告その1
その2
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
春の大枝を歩きませんか?
みんなの「みどりの停留所」をめぐりながら、
これまでこれからについてお話しましょう。
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
日時:2009年4月29日(水・祝)
13時集合 16時解散予定
集合場所:大枝土蔵
大枝アートプロジェクトの活動も5年目に入り、さまざまな広がりを実感しています。音楽会や講演会、展覧会と楽しい企画もたくさんありましたが、今一度、大枝を歩こう!という企画です。
実際に大枝〜大原野を歩き、語り、風景の変化を感じる事で、また新たな表現が生まれるのではないでしょうか。
今回、今年で4年目の参加となる、ひろ が、及ばずながらナビゲーターをつとめさせていただきます。とはいえ、堅苦しくなく、ゆるく、楽に、大枝を自由に感じていただければ、と思います。
途中参加も大歓迎。
集合時間は13時、解散時間が16時となってますが、あくまで目安です。
16時にきて夕方の大枝をあるきたい!って方もぜひご参加ください。個別ナビも対応します。
お手伝いいただける方、一緒にナビゲーターをやってくれる方も随時募集中。
企画・問い合わせ:ひろゆりか
▲
by oeap
| 2009-04-20 05:14
| 大枝風景ノート
大枝工作隊と大藪家最後の地蔵盆 2008/8/22

敷地の一部に地域では唯一の古い工法による土塀が残る。土塀の道路側部分は取り壊して駐車場になっている。
この大藪家は「にそと」建設のために取壊しになる。すでにまわりではものすごいスピードで工事が進んでいて、どんどん家が取り壊されていく。⇒関連記事

8月22日、現場で建設準備の作業をはじめた大枝工作隊。OAPメンバーの浅野真一氏も飛び入り。

大藪家の前の道路部分が付け替えのため封鎖され、店が閉じられている。
もう以前のように店先に車をとめることも、駐車場に車を入れることもできなくなっているのだ。

地蔵盆の準備だった。
大藪家では毎年夏、表の「北向き地蔵」を家の中に移して、地蔵盆を営む。
「北向き地蔵」は母屋の庭側の広縁に置かれ、ちょうちんが両脇に参道のように並ぶ。

夜7時、近所のおばあさんたちがやってくる。大藪家の隣で、もう取り壊された家の中原さん(長岡京に引越済み)のおばあさんもいる。錫と鐘で御詠歌が始まる。
8時すぎ、近所の子供たちも次々やってくる。
この大藪家での地蔵盆の光景も今年が最後になる。

工事中の道路をへだてた向こうに、言いようもなく美しくはかない光景が浮かび上がる。
工作隊一同、ぼうぜんと見守る。
吹く風が秋のにおいをはらんで、切ない。
(井上記)
▲
by oeap
| 2008-08-22 23:53
| 大枝風景ノート
高速道路建設により変容する京都・西山の風景と関わるアートプロジェクト
by oeap
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